再演劇場 3月30日  2024年に今日 10年前 2014年3月30日 ( アングラの帝王から新劇へ)すま けい・ さようなら、そしてこんにちは 幻劇場 再演 の始まり

昨日で作品緒投稿が一段落したので 過ぎた3月26日~今日までは一緒にまとめました
ブログ初参加の日2014年3月26日より 30日 29日 28日 27日 26日 となってます
明日から一日ごとにします
 再演としてブログをまた投稿していきます
写真は記事と関係ない
再演劇場 3月30日  2024年に今日 10年前 2014年3月30日 ( アングラの帝王から新劇へ)すま けい・ さようなら、そしてこんにちは 幻劇場 再演 の始まり_f0325673_13582395.jpg再演劇場 3月30日  2024年に今日 10年前 2014年3月30日 ( アングラの帝王から新劇へ)すま けい・ さようなら、そしてこんにちは 幻劇場 再演 の始まり_f0325673_13510839.jpg
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   2014年3月30日

 

まだ熱が出ない日

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こから出せ、俺を立たせろ、ここを飛び越えるんだからと、怒り狂って、困らせ、

  治療して良くなってからでないと出来ないわ、とまともに答えてたら、
 何でだよ、何の為にお前は来てるんだよと、睨んで言った。

  治療、治療と、言って何にも良くなってないじゃんか、悪くなるなるばかりでと、本気で言ってくる。言葉無くした。
 そんな事無いわよと、取り繕ったが…。
3月29日
街は暮れ仕度で賑わっている。
すまは医学的には死への支度。手の施しようがないと書類を貰っても、意識はしっかりしていて看護師の仕事チェックもちゃんと出来て当たっている。昨日誰が来てくれたかも覚えてる。昨日は二日ぶり位に、自分でベットでずり落ちた身体を引き上げる、腕の力もあった。昨日言わなかった帰るからを今日ははっきりと言う。長くは続かなく、ホッとしたが・・・・。覚悟と言ってもまだ実感がない。外は秋晴
3月28日

それでも微笑んで・・・・

それでも微笑んで・・・・_f0325673_08563460.jpg
入院して10日位してからか? あの強気で弱音を吐かないすまの面影は少しづつ弱り、身体についている物に手が触れると、持ち上げて「これなあに?これなーに?」と。 何時も伺うような上目遣いのような、不安げな顔、顔、顔で、俺すぐ帰れるんだろう。あいつら(見舞いに来てくれた人)には俺の事なんと言ってるの。俺死ぬの。家に帰るからね。杖は靴は。帽子は。こんな所早く出ようよ。あいつら(看護師)直ぐ来ますと言って2時間ぐらい経ってから別の事で来る。ここから立たせてくれ。俺動けなくなってるの。お前は何で俺をここから出したがらないの。鬼嫁で、ごめんね。君はやさしいよ(君とかこんな事言われた事ない)
 あいつら(看護師)、俺直ぐ言葉が出て来ないから、ちゃんと聞いてくれないんだよ。俺いいんだ。諦めた。もうどうでもいい。
  治療、治療と言っていつまで居るんだよ、悪くなる一方で、ちっとも良くなってないじゃないか!!何にもやってくれてないじゃないか。
 帰るから。帰るんだからと言って、帰りたいとは一度も言わなかった!!願いじゃなく、決意だった。 死への懐疑、不安だったのか???、その事への話題は私は避け逃げていた。
 夜退室時に合わせて横にならせ、気がつかれないように帰り(?)、朝10時前後に行くと、不可解な不安げの顔で、お早うに答えていた。ある時は、お前何処に行ってたんだようと。
  家へ連れ帰った時のベッドも直ぐ借りられる段取りは付けてました。今日言ったら命にかけて、と間でした
  6日の午前中、何時も訪ねて(ファンだと言って下さってる補佐の人)くれる天野さんが、座っているすまの背をさすりながら話かけているのに、ちゃんと答えていました。まいっちゃいますよとか、
はい頑張ります、ありがとうございます等聞こえて来ました。死を受けとめず
最後の最後まで、生きる事を考え、諦めず、生き抜こうとした事に~… 
 ナースとコミュニケーションが出来なくなったと、朝早く呼び出された7日は余りにも律儀であっけなかった。潔いと言うには、あまりにもあっという間だった。死に行く姿を日々目の当たりにしてたもので…。
 今思うと短い入院生活…。思い出されるのはそんな事ばかり。
   3月27日

    すまけいのかたり

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九月の最後の日から始まったしゃくりが、そんな大病の症例だとは思わなかった。十月の半ばから食欲がなくなり、脚が弱りむくんで来たことが、すまとよく似た元気で勢いのある?そして早い進行の(せっかち)、年に数人しか症例がない、大腸転移性肝がんとは?! 暑かった夏、夏ばて?秋バテではと…症状が出ると言うことはもう随分進んでいると言う事とは……。
六月の検診では何でもなく、十月の末の検診で肝臓の数値が随分上がっているということからの事。暑すぎ
 3月27日

消えない面影

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暑すぎた夏、熱中症を気にして、抵抗力と免疫力が落ちたのか?
11月6.7.8の検査通院で、自分から全部隠さず言って下さいと聞いていたのに、その時も今思えば部分的にもうろうとしていたのか?覚えてなく?信じたくなかったのか?今度も治って見せると決意してたのか?大病と闘って来たから。
入院して2日目、担当者医者が本人に聞いてみる治療についてと、抗がん剤は肝臓がもちこたえられるかどうか?8対2の割でショック死も考えられる、もう1つは緩和(幸いに最後まで痛がらなかった)。すまの答えは「何もしないでくたばるのもシャクだねだった」先生は飲む抗がん剤を用意されていた、(効き目は弱いが合う人には効く)すまは「ではそれでお願いします」とはっきりと言った事も。(ほんの少しの延命)
11月12日、伊藤先生(掛かり付け医者の往診)が入院できる用意をして20分後に電話するから、そしたら直ぐ救急車呼んでと言われ出られた後追っかけて、先生末期ですか?末期です、お父さん良く頑張ってる。と急いで帰られ、電話があり、救急車を呼びタンカーで、下へ運ばれ、知った人ににっこり挨拶しているのを見て、おんちゃんは、もうここには帰ってこれないかもしれないと思った事がホントになってしまった。入院するということは看取って貰う為だった。
早い内に、リスクを背負っても一度は…、 家に…。
11月19日担当医に呼ばれて、心の準備をと言い渡され、痛がらないすまに後は栄養分の点滴だけとー。付いてた看護師は夕食だけでもと粘ってくれてた。先生はいやいいでしょうと。その夕方担当医が部屋に来て、すまさん痛いところはないですか?とすまは「はいどこも、お陰さまでと。」今日からご飯も、薬(呑む抗がん剤)もないですからねと、平然と。すまは瞬間キョトントしたが、元気よく「あーそうですか」と頭を下げていた。その場はそれで終わったが、家路に着く途中ふと食事がでないと言うことは弱るの待つと言うことではと・・・・次の朝、上役の看護師に食事は食べなくても三度運んでくれるように頼み込み最後まで運んでくれました。そして三度三度起き上がって、少しは口にしてくれました。食べると言うことはエネルギー源になることも知りました。 
 
 2014年3月26日

さあ、これからブログに参加!です(^^♪

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すまけいの思い出を辿っていきます。
いつまでも、見守って頂ければ嬉しいです。
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   2024年  日々の綴り 徒然 つれづれ  3月30日(土)晴 14,1℃
      夜明と共にウオーキング
    おはようございます
 
     白糸の滝、ナイヤガラの滝の溜め水は
澄んだ水面で
静かに滝の流れを待っている  亀は静かに沈んでいる   
 
 今朝の新宿中央公園
昨日の春嵐が去り午後から晴れたままで紺の空で明けて行ってる
外気はひんやり感がある体感
風もなくい穏やか
 行くほどに霧が出てきて高いビルの上が見えなくなっていた
明けて行くとともに取れ青空が広がる
桜の蕾が花開いているのが彼方此方見かけられる
今日の暖かさでぐっと咲いていきそう
変わらず何時ものコースをまわって一通り動いて汗をかき帰
       おんちゃんただいま
 陽が燦燦とさし広がり眩しい
玄関で除菌スプレー
着替えて何時ものように朝支度
 おんちゃんゴハンですよ そして花の水切り替え 
おんちゃんの作品の投稿は一応最後まで気の出行ったが
ブログは日課として続けて行くのは変わらない
     そんな朝の始まり 
 2014年2月の末位に 49日も終え 憔悴しきって虚脱感に陥ってたのを見かねて? 「ブログ初めて見れば」と後輩が手ほどきをして 立ち上げてくれた
 その時はPCの使い方すらままならない無知な上 何を内容にすればいいかも思い当たらないない 趣味とか興味とかがわかない心理状態 生きてるのがやっと(大げさでなく)だったので すまの事にたどり着くまで時間がかかった 虚脱感の中でもそれならと始めたのが3月26日に入力したのが始まり 作品を投稿するまでに時間がかかり ランダムな投稿だったが・・・
 やっと10年目にして一段落 再演にこぎつける
 さっ!!今日も元気でイこうっと!
     行って来ますね
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